教員として当たり前にやらなければならないことである。
どんな生徒に対しても、である。
出来の悪い生徒、問題を起こす生徒、引きこもり気味な生徒、などなど。
どんな生徒に対しても、改善のための道筋を考え、改善のために指導を行い続ける。
やり方がうまくいかなければ修正案を考え、手を変え品を変え関わり続けるのである。
残念ながら、うまくいかないことを生徒のせいにし、それがまかり通ってしまう職員室がある。
教育の放棄だ。
令和7年12月24日
教員として当たり前にやらなければならないことである。
どんな生徒に対しても、である。
出来の悪い生徒、問題を起こす生徒、引きこもり気味な生徒、などなど。
どんな生徒に対しても、改善のための道筋を考え、改善のために指導を行い続ける。
やり方がうまくいかなければ修正案を考え、手を変え品を変え関わり続けるのである。
残念ながら、うまくいかないことを生徒のせいにし、それがまかり通ってしまう職員室がある。
教育の放棄だ。
令和7年12月24日
<共通理解>
ということが必要である。
共通理解をしていくための情報交換の時間を確保することが必要であるが、授業が目白押しの学校において、そのような時間をとることはできない。
勤務した直後に朝のホームルーム。
10分間の間があって1校時の授業。
また10分間の間で次の授業
4校時が終われば、すぐに給食の準備。
昼休みは30分ぐらいあるが、生徒から目を離すことはできない。
6校時が終わり、帰りのホームルームが終われば4時。
退勤直前だ。
こんな日程の中で情報交換の時間などはとれない。
しかし、共通理解は大事な要素。
しっかりできている組織がいい組織になっていく。
残念ながら、知っている人だけ知っている。
全員が知っている必要があることも、情報発信者の周囲数人が知っていれば、情報が回っていると勘違いをしてしまう。
生徒のよく言う、「みんな言ってるよ!」
自分の周辺の人だけがみんななのだ。
教員も生徒と同じく、自分の周囲だけが知っていれば、みんなとなってしまっているのか。
令和7年12月22日
将来、社会生活を円滑に送ることができるように何を伸ばし、何を修正するのか。
修正することによって良さが引き出すこともある。
良さを生かすことによって修正すべき点が良くなることもある。
もしかして修正すべきと思ったことが修正の必要がないかもしれない。
いろいろなことをしっかり見極めなければならない。
所属している期間は数年。
その間に修正をしなければならないので、いち早く現状を把握し、修正の方針を見つけ出さなければならない。
修正の指導をすることにより、より悪い方向に向かうかもしれない。
指導の方向性が当たっているのかどうかも常に自己評価し続けなければならない。
教員主導ではなく、生徒主導なのだ。
何が正解なのか、マニュアルなどはない。
表情や動き、言動、他との関わりなどといった空気感から読み取らなければならない。
それが指導力である。
R7.12.21
どの生徒も最後まで寄り添うこと。 教員として当たり前にやらなければならないことである。 どんな生徒に対しても、である。 出来の悪い生徒、問題を起こす生徒、引きこもり気味な生徒、などなど。 どんな生徒に対しても、改善のための道筋を考え、改善のために指導を行い続ける。 やり方がうまく...